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今年の7月で!やきとり大将は30周年です(パート1)

はじめに

熊本地震による被害へのお見舞い

この度の、熊本地震において、被災された皆さまには心よりお見舞い申し上げますとともに、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
余震も続き、不安な生活を強いられていることと心が痛みます。
また、被災地にご親戚、お知り合いのいらっしゃる皆さまにはさぞご心痛のことと、お察し申し上げます。1日でも早く復旧、復興されることをスタッフ一同心よりお祈り申し上げます。

やきとり大将
今年の7月で30周年を迎えます


主人が起業したのが22歳、

最初お店は、役場から外れた場所の吉川セミコンダクタの近くにありました。

最初のお店で営業を5年して、

るぴーモール虹ヶ丘商店街に移転出店したのが主人27歳、私は24歳でした。

私が結婚した時にはもうお店をやっていて、実家が商売をしていた私は

サラリーマン家庭に嫁ぐと決めていたのに、やはり商売人を縁があったようです。

るぴーモール虹ヶ丘商店街に出店すると言っても、第3セクターで街作り為の出店でした。

国の資金を借り入れて、本当にたくさんの方々がこの街作りに賛同して

るぴーモール虹ヶ丘商店街は出来ました。

ここはもともと住宅があったり、小川が流れていたりして嫁いだ時からすると

平成3年、4年、5年と次々に新しい建物を建て商店街を作り

街並みを整え、本当に新富町は素晴らしく生まれ変わりました。

当時の組合理事長から 『若いもんがやらんといかん。』と、後押しされ

私たちは出店した訳です。

当初の計画時、私は恐ろしいほどの借入額に反対しました。

だって、家が3軒は建つほどの金額をかけてまでやる事なのかが疑問でしたし、

正直、やり切れるのかが怖くてたまりませんでしたが、

大将の情熱に押されて出店するに至った訳です。

開店してからは、たくさんの方に応援をもらいました。

バッシングもかなりあり、へこんだことも多かったですが(笑)

みんな言いたいことを言ってましたね。若いと言いやすかったのでしょうね。

振り返ると、身の丈に合わない事をしているのが馬鹿みたいに見えたのかな。

普通は修行して、それからお店を出してなんでしょうが、私たちの場合は勢い!(笑)

今は取引のない銀行からは、すぐに潰れると言われ憤慨し、

それを言った担当者に1千万の預金をして見返してやると奮起していたものです。

平成24年には、国からの借り入れも完済し、まだまだ色々と残ってはいますが

取りあえずのけじめをつけて今があります。

これまでやって来れたのは...自分達が応援してもらってきたからかな。

どれだけお客様からアドバイスをもらって来たかわかりません。

学びの場はお店でした。

カウンターでは、様々な社長さんから自分の会社の事も例えながら

帝王学を教えてもらいました。

料理に至っては、お客様が食べたいものを聞いたり、

こうしたらいいんじゃないと言われる事をMENUに取り入れたり。

協力的な業者さんからバックアップしてもらったり。

特にサッポロビールさんとは創業以来のお付き合いです。

(自称、サッポロビール新富支店と言っております(笑)それも勝手に!)

これまで自分たちなりに工夫はして来ました。

私は家が商売をしており、小さいころから店頭販売などをしてきたのが生かされました。

でも、

開店当時から出来ない自分と向き合うたびに辛くて。

創業者では無くて、何代も続く老舗のお店なら良かったのにとか

本当に私のやりたい事はこれじゃないと心の中で逃げる毎日でしたね。

それをカウンターで話したら、お客様から怒られた事もありますが(笑)

どれだけ色々話してるかな、アハハハ。



平成8年には個人店から 有限会社 大将 として出発しました。

これには大きな理由があって、やきとり大将では商談が出来ない事が多かったからです。

焼き鳥屋さんのイメージは誰もが同じで、うちが100席近くある店舗で

宴会も出来るなんて店名からは想像できない方がほとんどだったんです。

もちろん知名度もありませんしね。

とにかく商談が出来ない!

食品展示会に行けば、焼き鳥屋と聞いただけで名刺を置いて馬鹿する顔をされたりしました。

心の声は顔に出るものですよ。

まぁ、商談のやり方も知らない私にも原因があったのは確かなんですが。

でも、会社にしてすごく喜んでくれた方々がいました。

るぴーモール虹ヶ丘商店街は県の指導を受けて成り立っているのですが

当時の宮崎県庁担当者は、私たちの成長を喜んでくれました。

だって借入は3番目に大きくて、若いし、ほんとにやれるの?って思ってた2人でしたからね(笑)

危なくて仕方なかったでしょうねぇ(笑)心臓に悪いお店だったはずです。

軽く考えていて、怒られた事もありました。

今の私たちがあるのも、色々な支援指導をうけた来たからだと感謝しています。



これまでお商売をする事が、すごく辛いな~って思ったことが、

平成22年の鳥インフルエンザ、口蹄疫の時でしたね。

お勤めの方なら定収入がありますが、お商売は売ったほどなので

自粛や消毒等で出れないなど、お客様の足が遠のいてお店が静かでした。

それに関連した内容のドラマで、うちと同じ店名の大将が出てきて

関係者をなじる場面があり、フィクションなのに

ドラマと同じようにお店がしていたと、ものすごい勘違いをされて

言ってもやっても無い事で周囲からヒンシュクを受けました。これはキツかった...。

なんだかな~、ここまでされるって悪い事したのかなって

本当に辛かったです。お客様に怒鳴ったりするわけないのにね。

これは今だから書けることですが。


しかしぃ!

ここで!悪い事ばかりじゃないです!

ダメダメな私達でしたが、なんとかここまで来れました。

かくて、現在。

潰れる発言の担当者に1千万の預金をして見返してやると奮起したものの

未だ現実ならず(笑)

いよいよ創業30周年を迎える訳です。

かなり長いプロローグでしたが、これまでの事を書き綴りました。

もう少しお付き合い下さいね+.゚(*´∀`)b゚+.゚

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